会社員時代の社内スローガンに、 

「お客様の立場になって仕事をしましょう」

というのがあった。
 
よく聞くスタンダードなフレーズだが、私はこの言葉があまり好きではなかった。
 
意味が良く分からなかったからだ。
 
いや、意味はわかるのだが、会社がそのスローガンを掲げているわりに、それを実践している雰囲気が感じられなかったからだ。
 
客が要望を言って来て、上司に相談したら
 
「それは無理だ、断ってこい」
 
これが通常だった。
 
 
 
客からの要望に応えるには、新たな道具や機材が必要になるときもある。
 
そのとき導入を提案しても、
 
「そんなものは不要だ、その場合は断っていい」
 
と、なんでも断れと言うのが会社の体制だった。
 

安請け合いしてリスクを背負うなと言う意味では、リスク回避と言えるかもしれないが、もう少しできる対応がないものかと考えていた。

  
  
あるとき、非常に無理な要望を言ってくる客がいた。
 
いや、実際は無理ではないのだが、その要望が来た場合は会社都合で断る事がマニュアルとなっていた。
 
「申し訳ございませんが、そのご要望は対応いたしかねます」
 
と断ったのだが、客は
 
「今時、それぐらい対応できるだろ!あんたらプロだろ!」
 

の一点張りだった。

 

一見、クレーマーの被害に遭っているように見えるが、お客の言い分は正当な意見だった。

その当時に業者として、そのお客の言う要望に応えないというのは、完全に会社都合でしかなかった。

先輩に相談しても、「無理なもんは無理。会社で決まってるから」

 

そのとき、私の元上司がたまたま現部署に別の用事で来ていた。

「クレーム??何か、騒がしいねw」

と笑顔で尋ねてきた。

私は一部始終を話すと、元上司はこう言った。

「会社のマニュアルに従うのは簡単だが、お前はどう思うんだ?」
 
と聞かれた。
 
「私は、対応するべきだと思います」と言うと、元上司は真顔になって、
 
「じゃあ、対応すればいい。その代わり会社のルールに反する事を行うのだから、後で上司に謝罪するなり、会社のマニュアルを変更するよう持ち掛けるなり、自分で責任を取る事が条件だ。それができないなら、マニュアル通り断ることだ」
 
と言い放った。
 
 
 
 
その後、客の要望に対応し、一件は落ち着いた。
 
直属の上司には「勝手な事をするな」と説教された。当然の事だったので、素直に謝罪した。
 
だが、部署の同僚や後輩は今回の件の対応に賛同してくれた。
 
「今度、会議で問題提起しましょう!部署全員で会社に提起すれば、マニュアル変更の可能性もありますよ!」
 
 
 
その後、マニュアルは変更された。
 
今まで会社都合で断っていたことに対応できるようになり、客のクレームは減り、売上は伸びていった。
 
しばらくして、元上司と会う機会があって、あの時のアドバイスのお礼を言った。すると、
 
 
「ルールは決められた時代に最適なものだ。時が経てばルールはその時代に合わせて、上書きして行かなければならない。マニュアルは大事だが、マニュアル人間にならないように。客とケンカするぐらいなら、会社とケンカする方がマシだからねw」
 
 
 
この時の元上司の言葉は、独立した今でも自分のビジネスマインドの一部となっている。