高校受験。

今となっては遠い昔の事だが、本命だった高校の受験発表の日、ボードに自分の番号はなかった。

自分の学力では受かるだろうと思っていた学校だったので、落ちた事は衝撃だった。

一緒に受けた友人たちは全員受かっていた。

その時、おそらく人生で初めて「敗北感」のようなものを感じた記憶がある。

私は頭が良くなかったんだと。

 

その後は別の高校へ行き、大学、社会人と進んでいった。

社会に出ると一番感じたことは、学歴がほとんど不要だということ。

数学なんて九九ができれば十分だし、国語も中学くらいまでの漢字の読み書きができればOKだろう。

英語はできるに越したことはないが、私にとっては全く不要だった。

 

社会人が学力よりも必要なこと、それは「要領の良さと空気を読むこと」

要領よくする方法や、空気の読み方は学校では教わらない。

今となっては学校でそういう授業を入れた方が良いのではとも思うことがある。

社会で仕事をするにあたっては、その2点が非常に重要だろうと思う。

 

会社であるイベントがあり、その告知看板を作るため数人で日曜大工をやっていた。

ある先輩が後輩に「プラスドライバー持ってきて」と頼んだ。

後輩は事務所からプラスドライバーを持ってきた。

「あー、ちょっと大きいな。もうチョイ小さいやつ持ってきて」

後輩はまた事務所へ行き、さっきのより小さいプラスドライバーを持ってきた。

「あー、今度は小さ過ぎるな。。さっきとこれの間ぐらいのヤツない?」

後輩はまた事務所へ行ったが、今度はなかなか戻ってこない。

私が後輩の様子を見に事務所へ行くと、後輩は工具箱を覗き込んでドライバーを必死に探していた。

後輩は私の姿を見つけると「これとこれ、どっちがちょうどいい大きさだと思います?」と聞いてきたので、

「工具箱ごと持って行ったら?」と後輩に言った。

後輩は「なるほど!そうですね!」と声を上げて、工具箱を持って飛んでいった。

その後輩は高学歴で有名なやつだったが、仕事ができるやつではなかった。

 

「頭がいい」のは何も勉強ができることではないと思うのだ。

学校の勉強ができる人は学力が高いだけで、人間力として頭がいいのとは別なのである。

実際、会社に入ってきた高学歴の人たちは、要領が悪かったり空気が読めなかったりで、いわゆる「仕事ができない」人が多かった。

履歴書で人を採用する以上、どうしても学歴を見てしまうのは仕方ないことなのだが、本当のその人の賢さは学歴ではわからないのだ。

社会で頭がいいと言われるように、人間力を磨いて行きたいと思う。